第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 81 05.08.09 |
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10) 久留米俘虜収容所(その2) |
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図298 |
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(久留米篠山支所・香霞園) 篠山町の料亭香霞園(図298)を借用した、青島陥落後に収容されたアンデルス少 佐以下将校俘虜の収容所。この施設が開設されたのは、大正3年11月15日より大 正4年6月8日(久留米収容所統合)迄である。また、大正3年11月22日に梅林寺の 将校2名も移転収容されている。 |
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図299 |
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(久留米高良台支所) 高良台支所(図299)は、明治44年8月25日に開設された久留米第十八師団の演 習場(高良台丘陵)敞舎を利用したもので、青島陥落後に収容された下士卒俘虜の 為に追加開設された施設。第三海兵大隊第三中隊(3K/VSB)を中心に約250名が 収容された。この施設が開設されたのは、大正3年11月15日より大正4年6月8日(久 留米収容所統合)迄である。他の初期久留米収容所施設からは5〜7kmほど離れて いる。 |
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図300 |
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図300は、大正4年1月3日久留米発、大正4年1月11日中国の広東着の年賀状。 文面日付は大正3年12月31日、差出人住所として“Koradai”の文字が読める。“俘 虜郵便”表示印は赤色、“検閲済”印は朱色。高良台支所発信の俘虜郵便は、大谷 派久留米教務所近くの本部事務所(借用民家)に一度集められ、同所で検閲が行 われている。 |
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図301 |
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図301は、大正4年2月13日福岡発、福岡俘虜収容所より久留米高良台支所宛の ドイツ俘虜間の俘虜郵便。差出人(Friedrich Fichtner・3K/VSB)と受取人(Max Zorn・3K/VSB)は、共に第三海兵大隊第三中隊の出身であるので親しい友人であ ったのだろう。「絵葉書ありがとう。その後、調子はどうだい?」という内容。宛名住 所には“Koraday”と記してある。 |
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図302 |
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図302は、久留米高良台支所のドイツ俘虜収容所新聞 (Intelligenz-Blatt KORADEI) |
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図303 |
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高良台支所の俘虜が発行した週刊新聞で、これは大正4年3月28日付第7号。ノー ト用紙を流用した全8ページの新聞で、中には日本側検閲で許可が下りるとは考え にくい、日本兵と英国兵が青島を奪い合う風刺画(図303)もあり、非常に興味深い。 |
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