日独戦争と俘虜郵便の時代 30 03.06.02 |
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14) 近代兵器 (その2) |
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・装甲戦車タンク 開戦後しばらくして、欧州戦線では塹壕戦による膠着状態が兵士の戦力をいたず らに消耗させた。1915年に入ると、フランスにいたイギリス観戦武官スウィントン中 佐の進言がチャーチル海軍大臣を動かし、陸上戦艦委員会がイギリスで設立され 開発が始まった。 |
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図98 |
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いわゆる、“タンク”という名称の由来は諸説あるようだが、一般的なものとしては そのイギリス型独特の菱形形状から、水槽〔タンク〕と呼ばれ、当初暗号にも使用さ れたらしい。本格的な量産型として実戦に参加したものとしては、有名なマークT型 戦車〔MkT〕がソンムの会戦に1916年9月15日より参加している。その後マークシリ ーズ(図98)は、改良が加えられ(マークT〜X)ドイツ軍を苦しめたが、各国も装甲 戦車の開発を急ぎ、第一次世界大戦を象徴する、近代地上戦に必要不可欠な兵器 として今日に至っている。 お嬢さん方垂涎のフランス・カルティエ社の腕時計、“タンクフランセーズ“シリーズ は、当時この装甲戦車〔タンク〕の形状から名づけられたといわれている。 |
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図99 大正7年・日本陸軍が研究用として イギリスより購入(一輌)したマークW重戦車 |
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・機関銃 機関銃は、アメリカ南北戦争時代の1860年代に手動式機関銃(ガトリング式)が開 発され、誕生したといわれている。第一次世界大戦では、大量生産の可能となった 機関銃が、陸上戦においてその能力を発揮するとともに、その圧倒的な攻撃力の 登場により塹壕戦や装甲戦車の開発など新しい形の戦いを生む事になった。第一 次大戦で主役となった機関銃としては、1884年アメリカ人ハイラム・マキシムにより 開発された全自動式重機関銃〔マキシム式〕が有名である。一次大戦でロシアが大 量にライセンス生産している。 日本で最初の機関銃としては、幕末に輸入されたガトリンク式が記録されている。 長岡藩は2丁入手し戊辰戦争で使用しているが、あまり戦力にはならなかったらし い。 本格的な国産機関銃としては、明治23年に陸軍は馬式(マキシム式)機関銃を入 手し、村田銃を参考に改良した機関銃を東京砲兵工廠で生産、日清戦争で使用し ている。その後陸軍はフランスから保式(ホチキス式)機関銃を導入し、改良を加え 東京砲兵工廠で生産、日露戦争で使用している。日露戦争では、主に旅順攻略戦 に使われたが、故障も多く実戦ではあまり活躍できなかったらしい。 その後、南部麒次郎大佐(南部銃で有名)によりホチキス式の欠点に改良が加え られ、三八式機関銃(明治38年式、毎分450発)が生まれた。青島攻略戦では、この 三八式機関銃が初陣し活躍している。 |
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図100 青島攻略戦、三八式、 夾連溝における歩兵第五十六連隊機関銃隊の攻撃 |
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その後、日本陸軍は三式機関銃(大正3年式)を開発し、その後の日本軍機関銃 の基礎を築いた。この三式は青島攻略戦には間に合わず、シベリア出兵で初めて 使用されている。 一方、青島攻略戦でドイツ軍が使用した主な機関銃は、シュバルツローゼ機関銃 (1907-1912年モデル、毎分450発)である。 |
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図101 日独戦争鹵獲品、中央堡塁に放棄された ドイツ軍シュバルツローゼ機関銃 |
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(機関銃こぼれ話) ホチキス式機関銃は、日本軍の初期機関銃形式として採用されているが、有名な 話があるので取り上げてみよう。ホチキス式機関銃は、1871年にアメリカ・コネチカッ ト州のベンジャミン・B・ホッチキス(1825−85)により開発された機関銃である。ちなみ に、今日私達が利用している事務用品のホッチキス(ステプラー)は、弟のエーライ・ H・ホッチキスが興したE.H.ホッチキス社により発表されている。事務用品のホッチキ スの発明秘話については諸説あるようだが、創業者の兄の発明品である機関銃の 銃弾装填方法を参考に開発したというのが有力だそうだ。ホッチキスを見ていると、 その構造から“なるほど”と思えてくる。(参考:MAX社HP) |
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