日独戦争と俘虜郵便の時代 29 03.05.27 |
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14) 近代兵器 (その1) |
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第一次世界大戦は、歴史上人類の経験した事のない、“近代戦争”の幕開けでも あった。また、今日の近代兵器の礎となる兵器の多くが、この戦争中に開発又は改 良されている。潜水艦、巨砲戦艦、飛行機、飛行船、空襲、空中戦、高射砲、サーチラ イト、装甲戦車、バイク部隊、機関銃、毒ガス(化学兵器1915年4月22日独軍ベルギ ー・イープルで初めて使用)、ガスマスク、塹壕、植民地部隊、民族問題、大量生産、戦 争映画、戦争報道、ストライキ、革命・・・。 思いつくまま、この近代戦争のキーワード を挙げてみたが、青島のその後を述べる前に、寄道をしてこれらキーワードから幾 つかを取り上げてみたい。 ・巨砲戦艦 日本で最初の超弩級艦(超ドレッドノート級)は金剛級巡洋戦艦であった。これは 日本における“巨砲戦艦時代”の幕開けであり、世界の水準(34センチ砲搭載超弩 級艦)に遅れをとっていた日本海軍が、当時の世界最高水準(金剛級はイギリス海 軍ライオン級巡洋戦艦を改良)の軍艦を手に入れるべく英国に画策したものであ る。これには、日英同盟が大きく関わっている。 |
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図96a 竣工時の金剛 |
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図96b 改装後の金剛 |
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一番艦「金剛」は、イギリスのヴィッカース・バローインファーネス造船所で明治44 年1月17日起工(1911)、翌45年5月18日進水、大正2年4月(1913)より艦長中野直 枝大佐のもと同地で試験運転を行ない、同年8月16日竣工し横須賀へ回航された。 |
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図97 |
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図97は、菊切手貼の軍艦郵便で、イギリスの馬路港〔バローインファーネス港〕を 母港に公式試験運転実施中の金剛より1913年7月27日差出、台湾澎湖島馬公要 港部付の機関中尉宛のものである。シベリア及び日本経由で台湾まで運ばれ、引 受抹消印には中継局、櫛型・TSURUGA/20.8.13./JAPANが押されている。中継日付 は金剛竣工5日目のものである。 金剛は主砲に36センチ(14インチ)砲を搭載し、27.5ノットという高速巡洋戦艦であっ た。金剛の建造に関しては、大正3年ジーメンス・ヴィッカース事件(いわゆるシーメン ス事件)で海軍の汚職が明らかになり、日本中を揺るがす一大疑獄事件となってい る。又、二番艦比叡(横須賀海軍工廠)、三番艦榛名(川崎造船所)、四番艦霧島(三菱 長崎造船所)は、大正3年から4年にかけて建造され、各造船所の技術力が競われ た。 第一次大戦においては、英国より金剛級の欧州派遣等が度々申し込まれたが、日 本海軍は断っている。大戦中金剛は目立った活躍はしていないが、日本参戦直後に は太平洋警備の後、第一艦隊第一戦隊という日本海軍の代表艦として横須賀を母 港に各地に警備出動をしている。金剛は幾たびかの改装を重ね、後に太平洋戦争 で活動したが、昭和19年11月21日レイテ沖海戦より内地帰還途中、台湾沖で米国潜 水艦SS315シーライオンにより撃沈されている。潜水艦による戦艦の撃沈はこの金 剛だけである。第二次世界大戦では、既に巨砲戦艦は時代遅れの産物で、空母・航 空兵力の時代になっていた。また、それを世界に証明したのが、他ならぬ真珠湾攻 撃である。その後、巨砲戦艦最後の象徴であった戦艦大和の沖縄特攻撃沈により、 日本敗戦を目前にして“巨砲戦艦時代”は完全に終焉した。 |
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