第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 104 07.12.28 |
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15) 松山俘虜収容所(その6) |
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(俘虜生活) |
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図245 幻といわれた松山・オリジナル版「陣営の火」創刊号 |
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松山収容所の俘虜生活を語る上で欠かせない資料は、松山収容所新聞 (Lager Feuer・陣営の火)であろう。海軍砲兵隊のマルティーン少尉 (Robert Martin・MFB・Leutnant d.Mar.Inf.)、第三海兵大隊第六中隊のゾルガー少 尉(Dr.Friedrich Solger・6K/VSB・Leutnant d.Res.)らを中心とした編集部により発行 された週間新聞である。創刊号は大正5年1月27日、皇帝ヴィルヘルムU世の誕生 日に発行された。(図245)こんにゃく版複写機により約50部作られたと記録されてい る。しかしながら、収容所管理部により娯楽性の高さから僅か5号で発行が禁止さ れ、6号以降地下出版として63号(内2回は二週合併号)まで発行された。後に板東 収容所で復刻版が印刷され、現在鳴門市ドイツ館にその合本が所蔵されている。 編集者の一部は板東収容所新聞(ディ・バラッケ)の編集にも参加した。 |
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図246 公会堂前の松山歩兵第二十二連隊 |
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図247 就寝する俘虜 (この写真は一部文献で「板東の俘虜」と紹介されたことがあるが、 正しくは松山市公会堂、左から二人目はケーバライン) |
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図248 公会堂の浴場 |
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図249 公会堂の炊事場 |
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図250 公会堂の酒保(大正四年六月・酒保商品物価表が見える) |
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図251 公会堂の俘虜・器械体操 |
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図252 松山市西堀端町・日本メソジスト教会日曜学校生徒の慰問合唱風景、 左にいるのは日本人牧師。 |
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